揺らす風

 

高橋久美子さん。

 

 

高橋久美子さんは、チャットモンチーの元ドラマーです。
チャットモンチーを知ったのは小学生の頃。
中学の頃は友達が好きなバンドという印象で、
高校生の頃はoasisradioheadとmichelleの合間に聴くくらい、
そして短大生の頃にたくさん聴いた。

 

チャットモンチーの出す音が好きだった。
あのころ、
わたしの体はしっかり若かったから、
いっぱい揺らいで、響いて、揺れた。

 

大人になって、
恋とか熱とか、そういうものがわからなくなって
人生ってこんなもんかって思いながらも、
どっか疑問感じて生きてたある日、恋をした。

 

その人がこれまで付き合った、
たった一人の彼女の好きなバンドが、
チャットモンチーだった。

 

わたしだって、好きなのに。


わたしの体はすっかり大人になってたけど、
いっぱい揺らいで、響いて、揺れた。


そして、好きだ、と思うのはいつも
久美子さんの書いた詩だったよ。

 

この人の書く詩は、
いつもいつももがいている。
そのあとで、思いっきり前を向いたりする。


等身大で、とっても女の子で、痛みがあって、
あぁこの人は、この人を、
生きているんだなぁって、思うのです。
 

いまは、久美子さんも大人になって、
彼女は文章を書いて生きているけど、
それらを読むといつも、やっぱり久美子さんだなぁってなるよ。


未だに痛みは含んでる。
でもとっても、なんというか、しなやかになった。
色々を感じて中に受け入れて、
流したり、吸ったり吐いたり、
悩むときもあるけど、自分はこう、って笑って、
人と関わって、自分を調和させて、感謝して、
そうやって呼吸しながら、
彼女は彼女のやりかたで
過ぎ行く日常を捉えて、かたちにして生きて
それがわたしにも届いてる。

 

本当の久美子さんなんて知らない。
でもわたしと久美子さんのあいだに
はっきり”久美子さん”があるのが、まぎれもなく久美子さんで、
それはきっと、あなたがあなたを生きているからで、、 

 

かっこいいなあ。

 

こないだ、彼がわたしにエネルギーを向けるベクトルのお話をしてくれた。
今日、先日出会い直した年上の友人がくれた、言葉にもハッとした。

 

自分がこうなりたいとか、
大切な人がいるならその人とこうなりたいとか
持ってないときっと、見失うねって

 

ほんとだ。
わたしはどうなりたいの?

 


使い捨てるように今を使って、
空回りして疲れて、
自分だって消耗してて、、

 

わたしは、
見失っている。

 

ハッ。

 

たいへんだ!見失っている!!
見失っているときは、見失っていることにも気づかないんだよ!!!

 

方向を決めて、探しに行きたい。
あときっと、勇気と覚悟の問題よ。

 

わたしならできる。
だってもう何回か、やってきたじゃない。 

 

痛いときもいいけど、
嬉しいときに生きてる!って思いたいね

 

痛みを感じて泣くのもいいけど、
嬉しくっていっぱい泣きたいね

そのとき、周りに誰かが居たらいいね
誰かと一緒に、嬉しくなるって、どんな気持ちなんだろうね

 

さっきね、久美子さんのエッセイ読んで、
読んだことあるやつなのに、
涙が出たんだよ。

 

こみあげる”何か”は、なんなんだろうね?

 

また、あの日京都で見た
誰かが撮った1枚の名前も知らない一輪の花の写真が浮かんだ。

 

一輪の花と、久美子さん

 

あぁ、わたしもこんな風に生きたいって思った。
そうだよ、うん。
たぶんずっと、ちゃんとあるんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現実世界へ、文字おこし

☆ここ半年してきたこと☆

・感じたことを
→考える

・感情を
→言葉にする

・恐怖や不安
→原因を突き止める

・いいところがない
→いいも悪いも、ない

・自分にはなにもない
→なにもない、がある

・もやもやした自分を
→かたちづける

・嫌いなじぶん
→まるごと受け入れ、愛する

 

自分も持たずに、現実世界で居てて
何かがおかしいってハレーション起こして
自分の世界へ帰って、自分の世界の中でなら保てるくらいは、
なんとか自分を取り戻した。 


そうやってしてきたみたいに
次は

 

・自分を持つ
→現実で行動を起こす

 

↑これ!!!
これがしたい!!!!

 

 

自分だけの世界はもういい。
自分なんて、まだまだわからんけど
もうここではない!
第1段階の狭い世界から出て行くよ!!!

 

 

☆これまで、自分の世界に浸って変わったこと☆

 

・劣等感と向き合いました。
→そもそも比べようがないので、もう必要ないなと思い手放した

・自尊心を取り戻しました
→わたしは幸せになっていい

・自分軸を持ちました
→人と一定の距離ができました

・無理をするのをやめました
→人目を気にしなくなりました。(問題も多いですが)

・人に合わせるのをやめた
→自分に合う人と合わない人がわかるようになりました。

・自分の話をするようになりました
→好きとか面白いって言ってもらえるようになった、友達ができた

 

 

染み付いた癖みたいな自分はしつこく出るけど
それでも、人と関わる上で、
持ってなきゃならん最低限の”自分”は取り戻した!
わたしはこれからこの自分で、人と出会って関わって行きたい。

 

ありがとう、お世話になりました!
自分の心の中の世界から出る!
自分以外の人に会う!人と話す、関わる!

 

☆これからの目標☆

 

現実世界でも、自分を見つける
集でなく、個で人と関わる
そのために個になる
人との間に自分の距離、ポジションをつくる
人に興味を持つ
本当の意味で、誰かのために動く
自分一人だけじゃなれない感情を味わう
人を愛する

 

 

 

 

 

 

枠とかたち

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”スノーデン”


オリバーストーン監督による、2017年に公開された映画を
ドイツ人の同居人と観た。

 

アメリカのNSA国家安全保障局)およびCIA(中央情報局)の
元局員で、個人情報の収集監視の手口を告発した
エドワード・J・スノーデンの話で、
2004年ー2013年までの実際の出来事を映画にしたもの。

 
正直、難しいことはよくわからないので、
人が一人の人として自分に従い生きること
その時について回る現実と孤独と苦しみ、自由と責任と影響と犠牲。
そんないろいろの一部を少し、目の当たりにした、という感想。

だけど目にしただけで、
意味はリアルに感じられては居ない。

 

スノーデンは自身の信条、正義に従った行動をとった。
そのことが引き起こすであろうことの
責任や影響を考えることができた、
考えざるを得なかった上でのその選択は
どれ程の覚悟が要ったのだろう、、。
あー想像力の無さを痛感する日々。

 

以前、「コクソン」という映画を観た。
その際わたしは、
”何が正義かなんて、その時々の角度で変わるものだ
 だからこそ何か1つ、信じるべきだったのでは?”
・・なんて、少しわかったようなことを書いた。

 

そして今回、彼は自身の正義に従った。
前回みた”弱さ”に対しての”強さ”を、
わたしはあまりにも甘くみて居たと感じた。 

 


さて。映画の内容もさることながら、
わたしにとっては少し、
別の視点からも他人事とは思えないような映画だった。

 

俗にいう、一般社会の枠の外に生きる人をパートナーにした時
関係や家庭が破綻しないよう生きるにはどうあればいいか。

 

兼ねてから同居人(ドイツ人とは別の)から
投げかけられるそんな質問の影響もすくなからず、、
いや大いにあるが、最近考えて居たことのヒントをもらったような気がした。
今出せる限りの答えかもしれない。
今はまだ全然短絡的で至らない考えだけどね。

 

同居人は言う。
「しっかり見とけよ。non-governmentとはどういうことなのかと言うことを
 お前はもう当事者で、関係のない話じゃないぞ。」
「???」
わたしは意味がわからなかった。
「所属しないと言う選択をして生きていくとはどう言うことか、
 そしてそれを貫くとはどういうことか」

「んー・・」

 

non-governmentとか所属とか、彼はいつも少し話が大きい。
だけど実際は、わたしが見えてないだけなんだろう。
だから言っている意味がよくわからないまま観て居た。


結果、やっぱりそんな大きな意味を理解することはできなかったけれど、
自分と相手、そんな規模でなら、少し思えることはあった。

 

関係と家庭、どちらの場合かでまた意味は変わってくるとおもうけど
関係の場合でいうならエゴとの向き合い方だなあとか。


そもそも関係も家庭も、ろくにその意味を考えずに
いつのまにかお互い同じような状態を指しているけど、
そもそもその”ありかた”、”かたち”から考えたいな、と思った。

 

同居人は、自身の信念・やりたいこと、
家庭・大切な人との関係、それらを両立させるのは
どうすればいいのか、ずっとわからないのだという。

 

彼曰く、彼の人生において、
ほしいと思ったものはほぼ全てと言っていいほど
手に入れてきたけれど、この答えだけは未だにわからないんだって。

 

わたしの彼に対して、自分に近い部分を持っていると
強く感じているようで、切実にも見えるその答えを
わたしたちに証明してほしいと考えているらしい。

 

そんな同居人のために、、という気はさらさらないが、
わたしにとっても確かにいずれ降りかかるであろう問題で、
もしこの先も一緒にいるなら、避けては通れないことかもなぁ、
なんて考える方向というか、課題みたいなものを
こんな風に提示してくれる同居人に感謝したいとおもう。

 

ここからは多分、うまく言葉にできない。
だから言葉にしてみるのだけど。

 

パートナーが、まぁ俗にいう一般社会向けではない人で、
そんな人を選んだら。
ほぼ確実に、関係や家庭は破綻してしまうというのが同居人の考えだ。
そしてそれが成り立つ人を見たことがないとのこと。

 

でもそこでまず疑問に思う。
関係や家庭は成り立たない。
その人を選んだ時点で、そんなことは分かっているのだ。
そもそも安定とか社会の枠組みの中での位置づけとか、
そんなところを見て選んだのではないし
自身の経験を持ってしても、もう一般的な安定や社会的な位置付けに
価値を置くことはもうないとおもう。

 

じゃあ関係や家庭ってなに?
自分の持つ一般社会とか家庭という概念は
なぜいつも安定した暮らし的なものをさすのか。
それはそれ1つしかないのじゃなくて自分の問題で、
わたしが何も考えてなかったんだ。


今回の映画のスノーデンとリンゼイの最終的な決断とありかたを見て
見えなくなってた概念の枠を意識した。
そこの概念まで外してしまえば、シンプルなことなのに。
そしてその概念のもとにあるのがまたもや自分のエゴだった。

 

自分の持っている幸せのかたち(家庭、安定)に
相手をはめ込んでいるじゃないかって思った。
その根底には、安心したいとか、そばに置いておきたいとか
そんな気持ちがあるんだよ。
そして本当に、その幸せのかたちは幸せなのかな?
わたしにとってそれはきっとそうじゃないから、考えよう。

 

一緒にいる
ってどういうことなんだろうね?
だってね、今実際に、
一緒に居なくても一緒にいるみたいな感じがするんだよ。

 

結論、一緒にいれる。根拠はないけど絶対に可能だ。
かたちを、自分たちで作る。
相手に求めないこと、お互いの自由を愛すること。
前提として、自分は自分の力で立つこと。

 

今のわたしはまだどうしても、
存在や気持ちが大きくなればなるほど、
ずっと一緒にいたいとか、自分のものにしたいっていう
気持ちは出てきてしまう。
だけどそれはエゴだ。
生じるのは仕方がない。だから向き合い方を考えるのだ。

 

きっと、かたち、がある。
そしてそのかたちは、制度や固定された共通の概念で
枠づけられたものよりもきっと
強く深いものだと思う。
そしてきっとそれは、
かたちがなくなってもかたちとして残るものだと思う。

 

で、たぶんね、それを選ぶということは
経済面、精神面、安全面、そんないろいろの波が激しく、
一般的な安定などとはほど遠いだろう。

 

そして喜びが幸せが大きいということは、
その分悲しみや苦しみも多く、大きいということなんだろう。
だけどわたしにはそれが安定に思える。強くそう感じる。

 

もちろん、まだわかってなんか居ない。その意味も、何も。
だけど、それはやらされているのではない。
自分が選んでいるし、選びたいのだ。
 

そんな風に生きたいんだ。
”思いっきり泣いたり笑ったりして生きたいんだ!”
って、思い悩んでたあの日々の
いつかの日記に書いて居たことば。

  

強くなりたい、と思った。
守られたいとかではない、守りたいのだ、
わたしも。わたしのやり方で。

 

踏み出す足に力がはいる。
どこに歩を進めればいいのだろう。
だけど進む目的が、定まった。

 

彼もまたこうして、わたしを強くする。
今、この瞬間こう思えるだけで
わたしは幸せだ、出会えて良かったと思う。

 

 

 

 

↓コクソンを見たときのブログ。 

yorunohikari.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

息の重さ

 

いきなり深くなる海みたいに、最近は、
関わる人達の深度がガッと深まった。
おかげで、時折、息ができずに肺が痛む。

 

でも、その状況を感じて考えるだけの
知識と体力がまるでなくて、
もがけばもがくほど、泳ぐどころか溺れていく。


そしてそのぶん、酸素を吸って二酸化炭素を吐く。
進まないのに、消耗する。

 

私なんて、泳ぎかた以前の問題で、
浮きかたから知る必要がある状態の人間だ。
だけど、浮いてたって酸素は使う。

 

でも、波打ち際に立ったなあ、と
足の裏に水の温度を感じたあの日から思えば、
足を進めてはいるのかな、とも思う。

 

でもそれがなんだっていうんだろう。
この”痛み”なんてものは、
誰のものでもなければ、誰の何も背負わない。
なんの犠牲も払わない、
この”痛み”なんてものはそう、いつも自分のためだけにあって
その正体は、これまたどこか許されようとしてるものなんだよね。

 

自分で自分を慰めている。ただの自慰行為だ。
とても惨めで恥ずかしい。

 

一体、何から許されようとしているのだろう。
きっと自分の世界なんてものは、それ1つだと
とても狭くて楽な世界で、多すぎてダメになる。

 

そして私はその狭くて楽な世界に身を浸していたいのだ。
たちが悪いのは外に行こうとする意志があるように見せかけるところ。

 

そのときに自ら痛みを作り出し、その痛みを理由に
自分の世界へこもることを許し、正当化しているのだ。


”私は繊細です”
バカか、と言ってやりたい。
別に、繊細なんかじゃなかった。
ただ単に、逃げていただけだった。 


だけどそれでも息はする。
生きている意味がわからないなどという言葉を口にするために、
私はまた1つ酸素を使う。

 

こんなの嫌だと思う自分は居る。
痛みが全てゴミクズみたいなものだったこともわかった。
さて。私には、何ができるのだろう。

 

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涙に変換するまえに

涙は、目にみえる感情だなんてことを書いたばかりで
実際そう思って生きて来たことに嘘はないけれど


最近はすこし、涙を流すことが
とてもずるいことのように思えるときがある。

 

それは、どこか、涙を流すことで
許されようとしている自分がいることに気づいたからだ。

 

湧き上がる感情を体内にとどめ、
自分の力で向き合い、考え痛むことを放棄している。

 

何もわかっちゃいないのに、
わかったような顔をするために涙を流している。

 

そんな自分がいた。

 

嫌気がさして、
こみ上げる涙を流すのをやめた。

 

誰かのために泣いているような顔で、
ほかの誰でもない自分のためだけに泣いていたことを知った。

 

同時に、自分の中にいれて留め、
受け止める力がまるでないこと、

 

浄化させてはいけないものまで流していたこと、
本当に何もわかってなんかいなかったということも。


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はじめの一歩の一歩まえ。

わたしにとって
その時間はお風呂上がりだった。

水平線のような時間。
自分の冷静な一部に会える時間。

余計なものを全部あらい流してびしょ濡れのまま。
そんな時が一番冷静なんてわたしらしいなと思う。

 

構造の整理をして
言葉たちを組み立てた。

 

ま。組み立てが甘いから、
手のひらの上で立てた泡のように
少しの時間で消えていってしまうんだけどねえ

 

ということでメモ。
階段を上ってくる間に少し消えてしまった。

 

言葉にするのは苦手だ。
だけど確信に近いんだ。

 

だからメモ。
急いでいるので殴り書き。

 

きっと

 

 

わたしは子どものとき
少し深くものを感じて居たのだと思う

 

そして、ほとんどの人と同じようにわたしもまた
成長のどこかで「考える」という方法に出会った

 

だけど「感じた」ことを「考える」というのは
私にとってとても苦しい作業だった

 

「感じる」深さのぶん
「考え」なければならない。

 

(・・・あの頃もこうしてネット上に書き連ねてたけど
 あのサイトは消えてしまった。)

 

だけど当然「考える」だけじゃ何も変わらない
だけどそのときはわからなかった。

 

そしてわたしは「考える」ことをやめた
あれは17歳のときだ。今でも覚えている

 

だから「感じる」だけで生きてきた
言葉が抽象的なのは、そのためだろう

 

つまりは、自分の世界に逃げた
狭く、だけど果てしなく深く思える世界


まったく本質的ではなかったことに気づいた
自分の世界から出ずして、わたしに何ができるだろう

 

”本質を知りたい”
16歳の頃の言葉

 

なぜそんなに悩むのかと聞かれた言葉を持ち帰り、
ひとり考えた夜、眠る前に書いた文章の結末。

 

あの日の言葉は嘘ではなかったはずなのに
ずいぶんと時が経ち、わたしは24歳になった

 

だけど無駄であったとは思わない。
辿って来たのだ、わたしは旅をしていた。

 

そしてやっと、自分を取り戻した
その自分を持って、外へ出たい

 

きっとまた、揺らぐだろう。
外の世界は広い。外の世界こそ、果てしなく深い。

 

世界の広さや歴史の深さを前にしたとき
わたしはどうなるんだろう。今はまだ想像もつかない。

 

自分の色なんて一瞬で見失うだろう
わたしはその度もがき苦しみ泣き叫ぶのだろうか。

 

自分の色なんて何色でもいいんじゃないか?


もしかしたら命に従ってついているもので
持っておく必要なんてないのかも

 

わたしの必死のこれまでは
大前提の大前提でしかなかったなと笑ってしまうよ。
だけどありがとう。

 

この心を使って、何を感じられるだろうか
この頭を使って、何を考えられるだろうか
この体を使って、何ができるだろうか

 

わたしには何ができるのだろう

 

音楽がすこし、リアルに聴こえた
わからなかったリアルを少しずつ実感する

 

そんな予感。


 

 

yorunohikari.hatenablog.jp

 

涙は、目に見える感情。

理由のわからない涙が出た
悲しいのか嬉しいのか
それすらわからない涙が出た

 

たった今の話。
4月8日、夜中の3時だ。
この街の夜は、遠くに音がひそんだ静けさで
無機質で奇妙な風が吹く。

 

理由はわからないけれど
何かに胸が締め付けられて痛かった
たぶん、何だろう、また私が知らないうちに
閉じ込めて来た自分がここにも居るのだと思う


こういうことはこれまで何度かあったので
さすがにもう分かってきたけれど。
泣いているのは私じゃなくて
どうやらその自分らしいのだ。

 

ここに居るよと、泣く声を聞かせてくれている。
だから私はそんな自分を見つけ出して、
話して、言葉にして出してあげたいと思う。
思う、ことで会話をする、不思議な感覚。

 

ずっと頑張ってくれてありがとう、気づかずごめんね。
そんな風に思うと、すごく嬉しそうに動くから
たまらなく愛おしくなる時がある、そしてその相手は自分だ。
自分が愛しい。これまでは、ありえなかったこと。

 

とはいえ、しばらくブログを書いて居なかったので、
前回の自分から今日、今の自分の状況になるまでの間にも
いくつかの、それなりの大きさの変化があったのだけど
記事にして居なかったので、自分自身
整理が追いついていない状態なのが正直なところ。

 

でもいいんだ、不完全でも。
今は、そんな自分と話してみようか
最近は、ずっと頑張って居たしね、あれも楽しかったよね

 
簡単に言えば、最近は、

自分の過去を手放したり、
エゴだらけな自分を認識したり
今の自分の形や色が分かったり、
その自分で社会に身を置くことができたり
そんなことをした。できた。


小さなことばかりだけど、
自分と手を繋いで成し遂げたという感覚。

 

そして今は、その自分と、人との間に
何か(おそらく関係というもの)を築く、
そんな段階にきている。


自分が、自分のままで誰かに愛されてもいいんだと、
愛されることを許すための
壁の前に進んで来たんだと思う。

(”愛される”というのは、ここでは”受け入れられる”に
 近い感じの意味で使ってます)

 

そう、進んできたのだ、
はっきりとその感覚がある。
確かにたった昨日までは、苦しんだからこそ持てた
気持ちがたくさんあった。今はない。

 

だけどそれは、失ったのでもなければ
間違いだったのでもない。


そんな風な、これまでという事実が存在し、
今は、今という事実が存在する。それだけ。

 

確かに、あの日からずっと、
ありのままの自分になれずにきた。
「愛されること」に「理由」が必要だと思い
生きてきた。

  

だけど冷静に考えてみれば、これからもそんな風に思って
生きていかなければならない理由なんてものもまた、ない。


許すということは、時に痛みを伴うけれど
それは湿った傷に風を当てるようなものだ
いつか乾き、肌に風を感じて歩くため。

理由なんかなくても、愛されたっていい。
理由なんかなくても、愛されなくたっていい。
どっちでもいい。

私は、何を守ろうとしているのだろう?
このまま何かを愛して、愛されようとして
何を失い、何が傷つくのだろう?
何がこんなにも怖いのだろう?

 

考えてみると、ここにもエゴがいた、もう笑
もはやこれは癖。架空の恐怖を作り出して、
ぜんぜん守れてないのに自分を守ろうとする自分。
それを許しちゃうと、また傷つくかもしれないからね。


大丈夫。もともと何もないよ。
だって「今」以外は、「これまで」しか知らないんだ。
「これまで」はあなたがよく知ってるでしょ。
変わらない「これまで」

 

「これまで」と同じような「今」にしなくちゃならない理由はないよ
「これまで」は「今」の理由にはもうできないよ。

 

「今」はいつだって「今」だけで「今」なんだ。

 

「これまで」と「今」は関係ない。
だけど「今」はこの瞬間も「これまで」に変わっていく。

 

新しい「これまで」を作ろうよ、
変わらない変えられない「これまで」を。

 

どんな「これまで」にしようか?
「今」選んでいこうよ

 

愛されても愛されなくてもどっちでもいいよ。
できてもできなくても。


涙は、自分の声
目に見える感情。心強いよ。
事実を存在させていこう

 

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