繋がる遥か彼方

 

終わっても失くなるわけじゃない

教えてくれたのに、これじゃ結局わかってない
今また遠のくのが、手放すのが怖い

 

出てくるのはやっぱり弱い自分
そんな自分の必死さがすごく滑稽に見えることくらいは、
わかるようになったけど。

 

両手いっぱいに持ったものを捨てて身軽になった時
新しい場所に行き、新しいものを持てる感覚は知ってる

 

なのになぜ今またこんなに怖いんだろう
染み付いた思考回路のせいか?


捨てるべきなのだと思う
失くすのではなく、捨てる
意識して、手放す

 

笑い声を、暖かい手の温度を、
光にみたいに一瞬だけ、一緒に歩いた道を
広い空を、海を、思い出を。

 

失くならない。

 

本当は

 

大事だから
捨てたくない
近くに置いときたい
思い出から離れたくない
そばに居てほしい
距離を確認しておきたい

 

本当は


泣きたい
痛い
やりたくない

 

でも
やりたい
勇気欲しい
強くなりたい

 

それにさ、私はいつも、
大事だからっていうけど
大事の本当の意味は?

 

その”大事”は誰のための想いなの?
誰の幸せに繋がるの

 

泣くのは誰で
痛いのは誰?

 

はー。また、自分だね・・

 

なんで勇気が欲しいの
なんで強くなりたいの
なんで、人を傷つけてきたの

 

それは、自分のため?
自分のためで、他人のため。

 

気持ちだけでものは捨てられない
そこまでまだ力がないから。

行動で無理矢理にでも捨てよう。
忘れるくらい動こう。

 

強くなって

 

強くなって

 

また繋げてみせて

 

大事にしたい

 

でもまた変わって

 

離れて

 

壊して

 

もう繋がらなくても

 

失くならんのやと思うよ

 

まだ知らんけどさ、
そんな気がする。

 

だからがんばろ。
ありがとうもあるけど
ごめんねでいっぱい

 

さよ。これ読み返してるさよ。
私本当に強くなりたいよ、
今さ、涙が止まらないよ。
笑ってる?笑ってたらいいけど。
笑うあなたのために泣く、こんな夜があったよ。
頑張るからさ、頑張ろうね、


おやすみ

 

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上澄みだけすくうのではなくちゃんと沈む異物もすくうことを意識。発生する負の感情に蓋をして蔑ろにすると後で蓋ができなくなる時がくることを知ったから。それを管理する力もつかないまま。だから発生する負の感情も含めて、まず向き合い、受け入れて、選択すること。これも訓練。

 

 

 

 

 

 

訓練

子供が、ずっと大人になろうとしてきて、
結局いまは子供のままの大人になった

 

子供が大人になれるわけないのに
大人の真似事してきて
それなりに考えてきてやってきたけど
その考えも所詮子供で、
大人だって思ったりするとこも子供

 

子供は子供らしく
傷ついたり愛されたりしたほうがいい甘えたりしたほうがいい

 

傷つかぬようするばかり
愛そうとばかり


子供は、弱いのに
自分も守れないのにね

 

そのまま大人になったら?

  

今までどうやって生きてきたんやろ?ってくらい
いま生き方がわからない

 

誰か助けてって叫びたいけど
誰も居なかったら?って思うと
怖いからできない

 

誰かが居てくれるイコール
自分が存在するわけでもないのに
この期に及んでいまだに
そこを繋げようとする
自分の染み付いた思考回路が嫌

 

叫びたい衝動が嫌だ
ずっと確かめてないと怖くなる自分が嫌
自分の足はぐらぐら、
指先が触れただけで折れる自分が嫌

 

過去も今ある感情もすべて受け入れる
思いついた時はすごい発明した気持ちだったけど
うまく使えない、

 

でもそらそうかともなるよ
訓練。

 

何をしてもしんどい時

 

 

 

 

 

 

 

葉のかたち

言葉は、地球儀みたいだ。


360度、全ての角度で見れるものはない。
全部見せようとすると、形が歪んでしまう。


だからどうしても意図しない意味で伝わり
人を傷つけてしまうことがある。

  

でもそれは仕方ない。


ただ、自分が人よりも優れていることを示すために
他人の価値を落とす時に使われる
悪意ある槍のような言葉は、ちがう。

ここ最近、
その矛先として選ばれる機会が数回あった

 

傷をつけられる側になるということ
本当の自分で生きようとしているわたしは戸惑った

 

その矛先を向けられ、
攻撃をしてきた時、そこに悪意のようなものが見えた時

 

ふつ、と音がして怒りが湧いた、
だから深呼吸をして、吐き出した。


自分を守るために人を傷つけるということ、
そこにあるのは弱さじゃないの?

 

それが弱さだとわかるのは、私もそれを使って
人を傷つけたことがあるからだと思う。

 

弱さ。
頭では分かっている。

 

だけど傷つきかけてしまった。
ちゃんと自分を守るための怒りも湧いた。
そして、よし、深呼吸をして
立ち止まることができた。

 

これだけでさよは満点!ナイスさよ!
って自分に声をかける。

 

そのあと、冷静に考えて、
どうしたらいいか?答えを出してみた
(でも考えるのはエゴだとかってなるのか・・?)

 

私が選んだこと
それは、受けてあげること。
そしてそのあと流すこと。(ここはもう少し練習要)


だって、私の価値は私が決めるから。
傷ついてあげる価値はない。
だけど言い返し、傷つけ合いたい訳でもない
上も下もない、勝ちも負けも。

 

相手のやり方は歪んでるとは思うけど、それは私が思うだけ。
相手は楽になるからやってる=楽になる。
自尊心は自分で持つものだから
自分が無傷ならそれが一番いいはず。

 

私は弱く見えたんだ。

 

でも、弱さも自分だ。


隠すのはしんどいから、
見せるけど、傷はつかない、
そこで自分の価値は決まらないから。
これは弱さ?

 

パワーの人からすると、
なめてかかられるというのは
問題だというのだろう。

 

その矛先に選ばれているようじゃダメだと。
だから強く見せておくべきだ、
いつ何が自分を狙っているかわからないと。

 

ふむふむ。確かに。
でも私は、これでいい。

 

選ばれているのではなくて、
選ばれることを選んでみるの。


弱いからじゃないの。
まだまだ強くならなきゃだけど。

 

誰だって、弱さはある。
そしたら、守るものは必要だし、
守るために矛を選ぶ人を居なくするのは難しいし、
その人も生きなきゃいけないし・・


なめられちゃダメ、威嚇しなくちゃで
威嚇する時矛先は絶対、どこかの角度を向いてるもん。

 

これはエゴなのか。
結局上を作ろうとしていることになるのか。

 

私は強くなっていけてんのかな。
結局同じ分だけ誰かを傷つけてるんかな。

 

苦しんだことにはいつも絶対意味があるんかな。
傷ついた分だけ優しくなるって本当かな
あれじゃあ本当は傷ついてるってこと?

傷ついてあげるとかは、
多分できないな


人のためとか
自分のためとか
考えすぎたら
全部作り出された温度のないものになっちゃうのかな。

 

んー。

 

悩み出してしまった。
危ない。ここでストップです。
ゆっくりいこーのやつです。

 

 

 

題名は、言葉のこと。


木陰を作れる葉?
指先をを切ってしまう鋭い葉?
傘になれる大きな葉?
傷を癒せる薬草みたいな葉?
食べられて穴だらけの葉?
枯れて落ちて大地に巡る葉?

 

私の言葉はどんな風になりたいの?
自分の言葉ともっと話したいな〜と思った日でした(昨日)

 

 

 

 

 

エゴとはなんぞや

わたしの声は、めっちゃエゴが出てるらしい。

わたしには意味がわからなかった。
だって自分出せてないなーて自他共に認める人から
エゴがでるとかありえるん?


いや、そもそもエゴって何よ?
て思って調べてみたら、面白かった

 

わたしはエゴの塊です。笑

 

ここでいうエゴの声っていうのは
一般的にいうエゴとはちょっと違ってて、
彼のいう歌声とかの声に出るエゴでもなくて
自分が、自分の心の声を聞くときの話。
でも切り方が違うだけで同じものなのかも、とも思う

 

そう、エゴって言ってもいろいろあるみたい。


一般的にエゴっていうと、利己主義とか、自分勝手とか
自己中心な考え方のこと指してたりして、あんまりいい印象ない。
わたしもエゴといえばイコール悪みたいなイメージだった。

 

はたまた、心理学で有名なフロイトは、自我のことをエゴって呼んでたらしい。
フロイト曰く、本能は「イド」で、
社会的な自分みたいなものは「スーパーエゴ」で
その間で揺れ動いて、最終的に選ぶ自分が「エゴ」。

 

わたしの読んだやつでは、
自分の思いには、エゴの声と魂の声があって
魂の声を聞けるようになったら
すごくいい感じになるよ〜ってやつ。

 

スピリチュアルなのかな。
心理学や精神構造とかスピリチュアルとかって
主観でしかないのか
それともちゃんと違いあるのかな。気になる。

とはいえ今回わたしは出展元とかを
ハッキリ確認してないから、ちゃんと確認しよ。(課題)
フロイトのやつも、本とかで勉強しよ。(課題)

 

えーと。とりあえず本題に戻そう。
わたしが自分エゴの塊だ〜って思ったのは、
3つ目の意味でのエゴの特徴とやらを読んだ時でした。(でもやっぱ同じもののことかなとかとも思う)

 

エゴの声、魂の声ってイメージではわかるけどさ。

 

エゴの声と魂の声ってどう聞き分けるの?
だってどっちも自分の心から聴こえてくる声でさ。

エゴの特徴を読んで、
今度から、心の声が聞こえた時は
一度立ち止まって、心のどの部分から
湧いてきたの?ってその声に聞いてあげようと思った。

 

エゴの特徴

(ノートに書き写したものをもう一度打つ。)

 

義務
○○すべき、○○すべきでないという方向で行動させる。やりたいかどうかではない

怖れ・不安・心配
○○したらどうしよう、○○になったら大変だという心配をさせる方向に意識を向けようとする。うまくいくという可能性は考慮しない、信頼を選ぼうとしない。

自己卑下
わたしなんてダメだとか、どうせできないとか自分の能力を卑下するような方向に自己意識を向かわせる。自己の価値を認めることを、どこか愚かなことだと思わせる。調子に乗るとひどい目に遭うと思わせる。

善悪・上下の判断
いいこと悪いこと、あの人がこれをできるのにわたしにはできないとか、あの人よりはマシなどと序列を気にしたり善悪にこだわったり、人を裁いたり自分のしていることを正当化しようとする。ありのままを受け入れない

罪悪感
○○するなんて、ああなんてことをしたんだろう、こんなことをしたらあの人に悪いなどという観点から行動させようとする。自分に対して無理な約束をさせ、自分との約束を守らないだけでものすごく自己を責め、ますます自己卑下させたりする。

難しくしようとする
真実はシンプルであり、幸せになることも簡単なことなのに、それはとても時間がかかる、勉強しないとダメだ、特殊な才能がなければダメだと手続きを難しくして、簡単にできないように思わせる

はっきりさせない・隠れようとする
エゴの声は、明確に認識されれば止めることが着るので、できるだけ隠れようとする。本当は自分自身を卑下し、嫌っているのに、いざそう質問されるとそんなことはないと答えさせたり、何も思い当たらないような気分にさせたりする。

 

思考を通して働きかける
ハートの声ではなく、なんとなく頭の声=思考を通してコントロールしようとする。頭の中の会話を止めることでエゴから自由になれる。

 

っていうもの。
はい、全てそう。

 

エゴの思考パターンは、長く使われてきたため、
本人は無意識にそれを行い、捉われているとのこと。
エゴに気付くところから始める。

 

わたしがずっとしてきた
我慢するとか人の気持ちを考えるとか
フィルターを通すとか壁を作るとか
そういう風なことは全部、
ここでいうエゴから来ていたなと思った。

 

あ、これは自己否定ではなく認識。
わたしは過去の自分をもう許したので。
ここからどうするかを考えたいのです!

 

つくづく思うな、
自分は全てを自分で選んでるって。

わたしは我慢するとかさっき言ったようなこと全て
自分でそっちを選んでたんだ。

そして今は、そんな自分を変えたいんだーー!
じゃあ考えるしかない!

 

エゴの塊の自分と向き合う。

認めたくない自分も居る。

含めて向き合う。

 

むー。よし!

 

 


 

 

 

 

 

 

許してあげる

つも、どっかから止まってた

 

別れた後は、出会った時から
終わった時は、始まる時から
失った時は、在った時から

 

止まってた。
いつも、どっかから止まってた

 

それで、辿って辿って、
辿って行ったら、
ずっと昔から止まってた

 

昔から止まってるから、
時間が流れることは
大切な、確かにそこにあった時間から、
離れていくだけって、
感覚がずっとしてた

 

なんで時間は流れていくの?
この瞬間も失われてってさぁ、
どんどん離れて、流れてさ。

 

あったやん
あったよな?
あったのに、無いって、何なん?
こんなに覚えてるよ。なのに無いって、
どういうことなん??
今無いって、じゃあ、あったって、なんなん。

 

忘れたくないのに、
人は、忘れていっちゃうし

 

全部抱きしめてたいのに、
腕の隙間指の隙間から
こぼれていっちゃうし

 

永遠なんかないってこと。
とっくに気付いてるけど。


止まった時間に永遠の影を求めて、
生きてきてしまったから。

  

そうしたら”今”が、
どんどん薄くなるんだよ。

 

どっかで、断ち切る強さがあれば
どっかで、許せる自分が居たら
どっかで、ちゃんと傷つくことを選べたら

 

ちゃんと”今”に居て
生きてこれたのかも

 

 

忘れたくない自分だらけで
思い出したくない自分だらけになってた

 

いつも
どの自分を思い出しても
無いものを想ってばかりいた

 

そうやって生きてる自分がすごく嫌だった
忘れていく自分も、忘れたくない自分も
でもどうしたらいいのかわからない

 

もちろんいろんなことがあったけど、
失う、って感覚にとらわれすぎて
大切に思うのが怖かった

 

忘れなかったらずっと
存在するって、よく聞く言葉。
私もそう思ったけど、うまく出来なかった
忘れていくことを許せなかった

 

本当は、一緒に居たかった
本当は、すごく大切だった
本当は、大好きだった 
本当は、悲しかった
本当は、表したかった
本当は、分かってほしかった
本当は、守りたかった
本当は、

 

本当は、ちゃんと色々在った
本当は、想われてた
本当は、無くしてなかった
本当は、頑張りたかった

 

考えても無駄なことだとか
悲観的だとか歪んでるとか
色々言われたけれど
考えないわけにはいかなかった

 

そんな風に生きて、
どっかで、自分が大切にしてるはずの
時間を薄くのばして使って
時間に意味を持たせないようにしてることも
気付いてたし

 

そうすることで自分を守ってたことも
あの痛みも苦しみも全部、
自分がこれ以上傷つきたく無いための
ものだってことも全部、
気付いてたよ

 

それが自分だったよ。
そうして、もう23歳になっちゃった。
もうすぐ24歳だよ。

 

でも、もう許そう。
そんな自分も全部。

 

10歳の時に終わってしまったこと
閉じてしまった箱。
もう何も入れられない

 

10歳のわたしは聞いた
「それだったら、この箱の隣に居てもいい?
 あったかいから。」

お母さんじゃないけど、お母さんみたいな人が言った。

「置いて行かなくちゃいけない。
 流れるから、離れていくよ。」

 

だから急いで幸せをかき集めた
その幸せは、もう増えないから。
無くさぬよう、肌身離さず持ってたい。

 

でも流されて、砂みたいで、水みたいで
こぼれていっちゃうの、必死だったね。


感受性という言葉を使っていいなら、
大事すぎたんだね。
もういいよ、と言ってあげたい。

 

大事だったって気持ちをわかってあげたい
みんな笑ってた時間があったこと
大好きだったんだよね。
一緒に居たかったんだよね
理解したくなかったんだよね
理解しようと頑張ったんだよね
大人にならなきゃって
元気で居なきゃって
本当は泣きたかったんだよね
でも本当の本当は笑ってたかったんだよね、みんなで

叶わなかったのは、あなたのせいじゃ無いよ
ちゃんと悲しんであげられなくてごめんね
頑張って忘れないよう居てくれてありがと
でももう戻らない、諦めよう
もう責めなくていいよ、許してあげる

 

 

お姉ちゃんの小さい頃のアルバムが
机の上に出されてたからみた今日。

 

小さい頃のわたし
家族
わたしが大好きだった家族が
笑ってて
わたしも笑ってた

 

もっと辛い人は居るけど
弱いわたしは全力で辛かった
でももう、許します。

ずっと生きてきてくれた自分のためにも。
新しい、大切な時間を

 

ずっと生きてきてくれた自分のためにも
幸せを

 

ずっと生きてきてくれた自分のために
生きよっか

 

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照らしていくような感じ

課題がまた増えたー。
それは、


表現に具体性を持たせること。

 

表現方法とは、様々だ。
絵、声、文章、生き方、体現・・

 

実に様々だ。
言ってしまえば、人の命そのものが表現みたいなもんだ。

 

そして、私の言葉や絵や生き方、姿勢
今の私の等身大でされる表現の全ては
輪郭がぼやっとしていてすごく抽象的だ!

 

とはいえ、かつての私をもとに考えると
心の底で発生しては消えていく自分の中の映像や色を、
認知できるまでの深度には来たように思う。

 

だけど場所でいうと
裸足になり、波打ち際に立ち、心の温度を感じる、ようなところで、
そう思うとまだ深度、とは呼べないかな?とも思う

 

これからは心の底で発生するそれらを掴み、カタチを捉え、
引き上げ取り出し表現していきたい。

 

だけど表現に具体性を持たせるには
自らに向き合い、考え、捉えていくことは共通していて避けられない。

 

そしてその作業だけが自らの精神の深度を深めていく
唯一の作業なんだろうと思う。

 

表現って自分を外に出す作業だから、
当然といえば当然なんだけどねぇ!

 

だから、表現の具体性には、
自身の現在の深度そのものが露呈するんじゃないかな。

 

表現に具体性がないということは
単純に、自らに向き合い、考え、捉えていく作業が不足しているということ。

 

その作業を、孤独というのだろう。
そしてその孤独には終わりなんかなくて
命の限り、どこまでも孤独なんだと思う。


だけど私は表現して生きたい。
孤独の過程で、命の過程で、体現の過程で
深い場所に行きたい。そこで、人に会いたい。

 

 

  

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クスクスと、笑う声がする。
その声を聞きそちらに目をやると、
着飾り、愛らしい格好をした自分がそこにいる。
その自分はこちらを見ているが、人の気配は感じないから不思議だ。

 

「・・?」

 

「・・ねぇ、さっきからさ、何言ってんの?今さらなことばっかり(笑)
 そんな風に語ってさ、文章にして載せたりして恥ずかしくないの?」

 

「恥ずかしくないよ。もう恥ずかしくない。

 だって私は生きて来たし、生きて来た私が今、実感したことだから、

 今がその時なだけ!それ以上もそれ以下もないよ。」

 

「いやいや、冷静に周り見なよ(笑)笑われてるよ?

 レベル低いよ、今そんな当然なこと分かっても無駄だよ、遅いよ」

 

「低いとか遅いとか、あなたは何と比べてるの?
 当然や普通はどこにあるの?あなたはどこに居るの?

    どうやってここまできたの?何を恐れているの」

 

「・・・・」

 

彼女はその薄くメイクをした顔を一瞬歪めたが、
次に声を発しようとした瞬間どこかに行ってしまった。
・・人の気配はない。

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所々でフィルターと物差しを持つ私が現れる。
この私は、私を守ろうとしているのだ。
だから私はこれからもこうして会話する。
おそらくずっと、分かち合うことはできない。
だけど一緒に生きていく。互いに受け入れていく。

 

 

 

 

 

事実を存在させる作業。

 

明日、動いてみようと思っていることがある。
これは自分で選んだ。そこに他人は居ない。

 

感じたままに動いてみるのだ。
どんな風になるのか、今は想像もできない。

 

物事自体は、大したことではない。
人から凄いなどと言われるようなことでは全くない。

 

だけどそんなことはもはやどうでもいいのだ。
人からの評価など、頭にもなく、
今ここに書くときに初めてよぎった。

 

まあ、出すときによぎると言うことが
心の中の過去(にしたい)の自分が
まだフィルターを通しているということなんだけどね。

 

それも別にいい。それが今なんだから。
在ることを否定しようとしても無駄だ。


受け止めて、今の私は1歩を踏み出すのだ。
新たにその事実が生まれるということが重要だ。

 

事実を存在させていく作業。
事実は否定できない。

 

事実が自分なら?
私はもう自分を否定できなくなる。

 

緊張する。
あんなに大勢の前でのスピーチだって
全く緊張しなかったのにね。

 

 

明日、動く。