息の重さ

 

いきなり深くなる海みたいに、最近は、
関わる人達の深度がガッと深まった。
おかげで、時折、息ができずに肺が痛む。

 

でも、その状況を感じて考えるだけの
知識と体力がまるでなくて、
もがけばもがくほど、泳ぐどころか溺れていく。


そしてそのぶん、酸素を吸って二酸化炭素を吐く。
進まないのに、消耗する。

 

私なんて、泳ぎかた以前の問題で、
浮きかたから知る必要がある状態の人間だ。
だけど、浮いてたって酸素は使う。

 

でも、波打ち際に立ったなあ、と
足の裏に水の温度を感じたあの日から思えば、
足を進めてはいるのかな、とも思う。

 

でもそれがなんだっていうんだろう。
この”痛み”なんてものは、
誰のものでもなければ、誰の何も背負わない。
なんの犠牲も払わない、
この”痛み”なんてものはそう、いつも自分のためだけにあって
その正体は、これまたどこか許されようとしてるものなんだよね。

 

自分で自分を慰めている。ただの自慰行為だ。
とても惨めで恥ずかしい。

 

一体、何から許されようとしているのだろう。
きっと自分の世界なんてものは、それ1つだと
とても狭くて楽な世界で、多すぎてダメになる。

 

そして私はその狭くて楽な世界に身を浸していたいのだ。
たちが悪いのは外に行こうとする意志があるように見せかけるところ。

 

そのときに自ら痛みを作り出し、その痛みを理由に
自分の世界へこもることを許し、正当化しているのだ。


”私は繊細です”
バカか、と言ってやりたい。
別に、繊細なんかじゃなかった。
ただ単に、逃げていただけだった。 


だけどそれでも息はする。
生きている意味がわからないなどという言葉を口にするために、
私はまた1つ酸素を使う。

 

こんなの嫌だと思う自分は居る。
痛みが全てゴミクズみたいなものだったこともわかった。
さて。私には、何ができるのだろう。

 

f:id:sayo_vb:20180612184101j:plain

涙に変換するまえに

涙は、目にみえる感情だなんてことを書いたばかりで
実際そう思って生きて来たことに嘘はないけれど


最近はすこし、涙を流すことが
とてもずるいことのように思えるときがある。

 

それは、どこか、涙を流すことで
許されようとしている自分がいることに気づいたからだ。

 

湧き上がる感情を体内にとどめ、
自分の力で向き合い、考え痛むことを放棄している。

 

何もわかっちゃいないのに、
わかったような顔をするために涙を流している。

 

そんな自分がいた。

 

嫌気がさして、
こみ上げる涙を流すのをやめた。

 

誰かのために泣いているような顔で、
ほかの誰でもない自分のためだけに泣いていたことを知った。

 

同時に、自分の中にいれて留め、
受け止める力がまるでないこと、

 

浄化させてはいけないものまで流していたこと、
本当に何もわかってなんかいなかったということも。


f:id:sayo_vb:20180612184213j:plain


はじめの一歩の一歩まえ。

わたしにとって
その時間はお風呂上がりだった。

水平線のような時間。
自分の冷静な一部に会える時間。

余計なものを全部あらい流してびしょ濡れのまま。
そんな時が一番冷静なんてわたしらしいなと思う。

 

構造の整理をして
言葉たちを組み立てた。

 

ま。組み立てが甘いから、
手のひらの上で立てた泡のように
少しの時間で消えていってしまうんだけどねえ

 

ということでメモ。
階段を上ってくる間に少し消えてしまった。

 

言葉にするのは苦手だ。
だけど確信に近いんだ。

 

だからメモ。
急いでいるので殴り書き。

 

きっと

 

 

わたしは子どものとき
少し深くものを感じて居たのだと思う

 

そして、ほとんどの人と同じようにわたしもまた
成長のどこかで「考える」という方法に出会った

 

だけど「感じた」ことを「考える」というのは
私にとってとても苦しい作業だった

 

「感じる」深さのぶん
「考え」なければならない。

 

(・・・あの頃もこうしてネット上に書き連ねてたけど
 あのサイトは消えてしまった。)

 

だけど当然「考える」だけじゃ何も変わらない
だけどそのときはわからなかった。

 

そしてわたしは「考える」ことをやめた
あれは17歳のときだ。今でも覚えている

 

だから「感じる」だけで生きてきた
言葉が抽象的なのは、そのためだろう

 

つまりは、自分の世界に逃げた
狭く、だけど果てしなく深く思える世界


まったく本質的ではなかったことに気づいた
自分の世界から出ずして、わたしに何ができるだろう

 

”本質を知りたい”
16歳の頃の言葉

 

なぜそんなに悩むのかと聞かれた言葉を持ち帰り、
ひとり考えた夜、眠る前に書いた文章の結末。

 

あの日の言葉は嘘ではなかったはずなのに
ずいぶんと時が経ち、わたしは24歳になった

 

だけど無駄であったとは思わない。
辿って来たのだ、わたしは旅をしていた。

 

そしてやっと、自分を取り戻した
その自分を持って、外へ出たい

 

きっとまた、揺らぐだろう。
外の世界は広い。外の世界こそ、果てしなく深い。

 

世界の広さや歴史の深さを前にしたとき
わたしはどうなるんだろう。今はまだ想像もつかない。

 

自分の色なんて一瞬で見失うだろう
わたしはその度もがき苦しみ泣き叫ぶのだろうか。

 

自分の色なんて何色でもいいんじゃないか?


もしかしたら命に従ってついているもので
持っておく必要なんてないのかも

 

わたしの必死のこれまでは
大前提の大前提でしかなかったなと笑ってしまうよ。
だけどありがとう。

 

この心を使って、何を感じられるだろうか
この頭を使って、何を考えられるだろうか
この体を使って、何ができるだろうか

 

わたしには何ができるのだろう

 

音楽がすこし、リアルに聴こえた
わからなかったリアルを少しずつ実感する

 

そんな予感。


 

 

yorunohikari.hatenablog.jp

 

涙は、目に見える感情。

理由のわからない涙が出た
悲しいのか嬉しいのか
それすらわからない涙が出た

 

たった今の話。
4月8日、夜中の3時だ。
この街の夜は、遠くに音がひそんだ静けさで
無機質で奇妙な風が吹く。

 

理由はわからないけれど
何かに胸が締め付けられて痛かった
たぶん、何だろう、また私が知らないうちに
閉じ込めて来た自分がここにも居るのだと思う


こういうことはこれまで何度かあったので
さすがにもう分かってきたけれど。
泣いているのは私じゃなくて
どうやらその自分らしいのだ。

 

ここに居るよと、泣く声を聞かせてくれている。
だから私はそんな自分を見つけ出して、
話して、言葉にして出してあげたいと思う。
思う、ことで会話をする、不思議な感覚。

 

ずっと頑張ってくれてありがとう、気づかずごめんね。
そんな風に思うと、すごく嬉しそうに動くから
たまらなく愛おしくなる時がある、そしてその相手は自分だ。
自分が愛しい。これまでは、ありえなかったこと。

 

とはいえ、しばらくブログを書いて居なかったので、
前回の自分から今日、今の自分の状況になるまでの間にも
いくつかの、それなりの大きさの変化があったのだけど
記事にして居なかったので、自分自身
整理が追いついていない状態なのが正直なところ。

 

でもいいんだ、不完全でも。
今は、そんな自分と話してみようか
最近は、ずっと頑張って居たしね、あれも楽しかったよね

 
簡単に言えば、最近は、

自分の過去を手放したり、
エゴだらけな自分を認識したり
今の自分の形や色が分かったり、
その自分で社会に身を置くことができたり
そんなことをした。できた。


小さなことばかりだけど、
自分と手を繋いで成し遂げたという感覚。

 

そして今は、その自分と、人との間に
何か(おそらく関係というもの)を築く、
そんな段階にきている。


自分が、自分のままで誰かに愛されてもいいんだと、
愛されることを許すための
壁の前に進んで来たんだと思う。

(”愛される”というのは、ここでは”受け入れられる”に
 近い感じの意味で使ってます)

 

そう、進んできたのだ、
はっきりとその感覚がある。
確かにたった昨日までは、苦しんだからこそ持てた
気持ちがたくさんあった。今はない。

 

だけどそれは、失ったのでもなければ
間違いだったのでもない。


そんな風な、これまでという事実が存在し、
今は、今という事実が存在する。それだけ。

 

確かに、あの日からずっと、
ありのままの自分になれずにきた。
「愛されること」に「理由」が必要だと思い
生きてきた。

  

だけど冷静に考えてみれば、これからもそんな風に思って
生きていかなければならない理由なんてものもまた、ない。


許すということは、時に痛みを伴うけれど
それは湿った傷に風を当てるようなものだ
いつか乾き、肌に風を感じて歩くため。

理由なんかなくても、愛されたっていい。
理由なんかなくても、愛されなくたっていい。
どっちでもいい。

私は、何を守ろうとしているのだろう?
このまま何かを愛して、愛されようとして
何を失い、何が傷つくのだろう?
何がこんなにも怖いのだろう?

 

考えてみると、ここにもエゴがいた、もう笑
もはやこれは癖。架空の恐怖を作り出して、
ぜんぜん守れてないのに自分を守ろうとする自分。
それを許しちゃうと、また傷つくかもしれないからね。


大丈夫。もともと何もないよ。
だって「今」以外は、「これまで」しか知らないんだ。
「これまで」はあなたがよく知ってるでしょ。
変わらない「これまで」

 

「これまで」と同じような「今」にしなくちゃならない理由はないよ
「これまで」は「今」の理由にはもうできないよ。

 

「今」はいつだって「今」だけで「今」なんだ。

 

「これまで」と「今」は関係ない。
だけど「今」はこの瞬間も「これまで」に変わっていく。

 

新しい「これまで」を作ろうよ、
変わらない変えられない「これまで」を。

 

どんな「これまで」にしようか?
「今」選んでいこうよ

 

愛されても愛されなくてもどっちでもいいよ。
できてもできなくても。


涙は、自分の声
目に見える感情。心強いよ。
事実を存在させていこう

 

 f:id:sayo_vb:20180410003541j:plain

 

 

 

懺悔と見せかけ自己肯定

f:id:sayo_vb:20180315012000j:plain

 

 

昨日の話。
8時間睡眠で働きに行ったのに、
寝不足で意識が飛びそうでした。


薄々気づいてたけどロングスリーパー
12時間寝たいです。

 

それにしても、昨日は本当にめちゃくちゃでした。
①寝不足で働き、(何度も言うけど8時間は寝た)
(しかも研修だから働いてはない)
仕事終わりに②お店を駆け回り、
③暴飲暴食し、ヘトヘトなのに④帰り道5kmを走って帰り、
家に着いて⑤倒れるように寝ていたのはいいものの
起きたら⑥着ていた服をゴミに捨て、
⑦お水を2リットル飲み干していました。
なお、⑧記憶はありません・・※お酒は飲んでません。

 

人間は、寝不足になると脳の働きが鈍くなって、
食欲が増し、ジャンクフードが食べたくなる傾向にあるらしいのだけど
私も例外なくそれで、帰り道にコンビニを見つけては
食べ物を買って飲むように食べました。

食べてる時に、どっか冷静な自分もいて、
「今どんな気持ち?」って聞いたら
「最っ悪。」なんて答えが返ってきたりしたから、
これも1つの自傷行為だな、とか思いながらも口に入れました。

 

気分は本当に最悪だった。
最悪だ、と思いながら食べるから、
「今、最悪な気分になりたいんだ」と思った。
そうですね、その瞬間私は
したいことをしていたんですね。はい。

 

私は時に、自分の価値を落とすことで、
自分の価値を認める(=高い位置で保つ)ための
エネルギーを使わなくてもいい位置(=落ちたところ)に
身を置くことでエネルギー消費を防ぐ心が働くことがあるな・・

 

と、考え、そんな自分が居るんだね、知った。
けどまあ、それも自分だ。今のね。
ってか自分の守り方回りくど!
いいよ、アホやなーって笑ってあげる、居なくならないよ。

 

「大体さ、なんで8時間も寝たのに眠いん?」
「そんなんじゃ社会でやってけやんで」
「なんでそんなに意思弱いん?」
そんな、いつもなら耳を塞ぎたくなるくらい
こだまする、責め立てるような自分の声は聞こえなかった。
(多分この、塞ぎ「たくなる」のwantの部分もポイント。)

 

「わらける!何がそんなに嫌やったん?」
「そりゃ確かに社会人むずいやろな、お疲れ!」
「食べてもいいけどあと知らんで、って頑張るん自分や・・もう!」
ってくらいのノリの自分と初めて会って、
走りながら前向きな気分になってた自分が居て
してしまったことは仕方ないと、もっと走ってやった。

 

不思議だった、だって気分良かった!
最悪な気分になることをしたのに!
最悪な気分になろうとする自分を
「選ぶ人」「守る人」「認める人」がこんなに近くに居た!

 

自分で自分の価値を落とす行動が無意味になった記念日だ!
やっぱり合ってないな〜ならばどうしたもんか。と
自分基準でものを考えようとする自分に気づいた記念だ。

 

これは私にとっては大きな、大きな変化だ
自分基準というものが自分の中にできたのだから。

 

意味がある、自傷行為だった。
そしてもう無意味になった!してやった!

 

この先また、自傷行為をして見失いそうになった時はここへ戻ってこよう!
自傷行為だって気付けるかだけどね、気付く時は気付くでしょう。
本当は今日、このことを書きたかったんじゃないけれど、
今日はこのことを書くことにしたよ〜

 

明日も頑張って〜

 

 

 

 

 

 

曖昧以上ない

 

彼のあの一言で、自分を許せた自分がいる。彼のあの一言で強くなろうとした自分がいる。一言でこんなに変わった、あの言葉は一生の宝物だ。0が1になった瞬間だった、それくらい、救われた。以下、彼の言葉に救われた言葉たち

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

私は、一人が好きだ
それでいて、寂しがりで甘えがあるのに甘え方を知らず
人を傷つけることがある

 

私は、人が好きだ
それなのに、人といるとすごく疲れたり
話が面白くなかったり、浮いちゃう自分が居る(人による。ほとんどそう、だから落ち着く人の存在に依存しちゃう)

 

どっちもあるんだ。
一人が好きだけど、誰かと居たい。


寝る前の文章も
ノートへの落書きも
何回聴くんだって音楽も
音のないこの静かな部屋も
街の雑踏に疲れただ空中に意識を浮かべるだけの時間も
私には絶対に必要。

 

自由に料理もしたい
お金は自分で管理したい
ちゃんと働きたい

 

静かな場所で、文字をただ体内に流し入れると落ち着く
騒がしい場所では、音楽で音を上塗りすると大丈夫
言葉にできない感情が、色でならあるのにな。(カタチにしたい課題)


綺麗な文章の表現に感動したり
にやけちゃうような気持ちい音に鳥肌を立てたりして
自由に流れてたいだけだ

 

心のこととか考えるの好きだけど
私の核はきっと、カタチも色合いも曖昧だから
見失わぬよう持っておきたいだけなのかも。

 

これは、エゴではない気がするよ。

 

人と関わっていく人生に対しての憧れはあるし
実際関わっていく中でないとできない感動もある

 

だけど人より距離が遠いのかもしれない
遠くないと保てないくらい境界線が曖昧なんだ。

 

人の感情を感じ取って痛んだり
引っ張られたりしちゃうのは境界線が曖昧だからかな


だけど、
海を自分の一部に感じたり
夜に体を溶かし、光だけを感じたりできるのもまた
境界線が曖昧だからかな

 

私は、あったかいようであったかくないのかもしれない
そう思うと少し怖いけれど、もしそうならそうなんだろう 
怖がるのはきっと染み付いた思考回路の仕業だ

 

一人が好きなんだ、私は。
その上で、人と関わればいい。
それに多分、人が好きなのも嘘じゃない。

 

承認欲求のようなものも、ある
だけどもう無理はしたくない

 

あくまで自由に自分らしく
流れるように生きながら
それでも一緒に居てくれる人と一緒に居たい

 

私もそんな風に、誰かのそばに居たい。
だからやっぱり今のこの一人の時間は必要だね?

 

約束は、したくない
だけど会いたい人には会いたい
一人で生きていきたい訳じゃない。

 

だけど一人にはなりたい。
なんて勝手な・・でも仕方ない。
これが私の在り方だ。

 

すごく、腑に落ちる。
やっと緊張が解けた感じ。
はぁこれが私だったんだ

 

とはいえものすごく弱くて、
甘えや依存するとこあるからね。
しっかり一人になろう。前向きにね。

 

心の話をしたい
考え方の話をしたい
色の話を、音の話をしたい
感覚を言葉で伝え合って形にする練習をしたい
誰かに知って居て欲しい
私もその誰かの誰かでありたい。

 

そういう人たちと出会い
関わる時間を持って生きたい。

 

そうじゃない人との関わりがほとんどになるだろうけど。
それがないとたぶんまた良くないわ

 

そんな「大切」もあるんだろうなと
そしてそれが私の新しい「大切」なんかなと

 

ぼんやり。


「そんなの冷たいよ歪んでるよダメだよ」じゃなくて
「そんな形だったんだ。」って気持ち。

 

ハロー。
しばらくよろしく。

 

f:id:sayo_vb:20180305034251j:plain

たぶんこれも私だ、にこにこも私でぼんやりも私。にこにこなるのも好きやしぼんやりも好き。0か100かの癖がちょっと抜けた気がする。影も光もその間もあるんだよきっと。そうしたら無限だ。100÷無限で100以上のものが存在できるよ。今日はいい日、迷ったら一度ここに戻ってこよう。いつかまた壊れるんやとしても、今日のこの思いは在れて良かった。

繋がる遥か彼方

 

終わっても失くなるわけじゃない

教えてくれたのに、これじゃ結局わかってない
今また遠のくのが、手放すのが怖い

 

出てくるのはやっぱり弱い自分
そんな自分の必死さがすごく滑稽に見えることくらいは、
わかるようになったけど。

 

両手いっぱいに持ったものを捨てて身軽になった時
新しい場所に行き、新しいものを持てる感覚は知ってる

 

なのになぜ今またこんなに怖いんだろう
染み付いた思考回路のせいか?


捨てるべきなのだと思う
失くすのではなく、捨てる
意識して、手放す

 

笑い声を、暖かい手の温度を、
光にみたいに一瞬だけ、一緒に歩いた道を
広い空を、海を、思い出を。

 

失くならない。

 

本当は

 

大事だから
捨てたくない
近くに置いときたい
思い出から離れたくない
そばに居てほしい
距離を確認しておきたい

 

本当は


泣きたい
痛い
やりたくない

 

でも
やりたい
勇気欲しい
強くなりたい

 

それにさ、私はいつも、
大事だからっていうけど
大事の本当の意味は?

 

その”大事”は誰のための想いなの?
誰の幸せに繋がるの

 

泣くのは誰で
痛いのは誰?

 

はー。また、自分だね・・

 

なんで勇気が欲しいの
なんで強くなりたいの
なんで、人を傷つけてきたの

 

それは、自分のため?
自分のためで、他人のため。

 

気持ちだけでものは捨てられない
そこまでまだ力がないから。

行動で無理矢理にでも捨てよう。
忘れるくらい動こう。

 

強くなって

 

強くなって

 

また繋げてみせて

 

大事にしたい

 

でもまた変わって

 

離れて

 

壊して

 

もう繋がらなくても

 

失くならんのやと思うよ

 

まだ知らんけどさ、
そんな気がする。

 

だからがんばろ。
ありがとうもあるけど
ごめんねでいっぱい

 

さよ。これ読み返してるさよ。
私本当に強くなりたいよ、
今さ、涙が止まらないよ。
笑ってる?笑ってたらいいけど。
笑うあなたのために泣く、こんな夜があったよ。
頑張るからさ、頑張ろうね、


おやすみ

 

f:id:sayo_vb:20180304041330j:plain

上澄みだけすくうのではなくちゃんと沈む異物もすくうことを意識。発生する負の感情に蓋をして蔑ろにすると後で蓋ができなくなる時がくることを知ったから。それを管理する力もつかないまま。だから発生する負の感情も含めて、まず向き合い、受け入れて、選択すること。これも訓練。