疑え、を疑う。

 

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年明けに帰省中の彼と見た「哭声(コクソン)」という映画。
自分の手書きのノートに書いてスッキリしてしまって
言葉にしていなかったので今から文章にします、、

 

私の1万倍は毎日忙しいであろう西野亮廣さんの
ブログが毎日3記事くらい届く中
なぜわたしはたった1記事のアップができないのか!
嫌気がさす日々だった・・(早くかけば済んだこと)

 

韓国のナ・ホンジン監督による「哭声(コクソン)」
2017年3月に公開された映画らしい。割と新しかったのね、、!

 

”疑え、惑わされるなーー”

 

これがこの映画のキャッチコピーだそう。
なるほどねー、映画が進むにつれ、
立てる推測はことごとく覆されていく。

 

色々な憶測がある。
本当の悪魔は誰か?


幽霊みたいな女の人、
祈祷師、それとも日本人?

 

映画を観終わってから、
記憶が新しいうちにと整理したんだけれど
その行き着く先はすべて”矛盾”だった。

 

わたしの頭が足りない可能性も大いにあり得るが
それは無いという前提でいきましょう(笑)

 

結局、何を信じればいいのか
わからない状態で終わってしまった。
主人公もそうだったと思う。
一連の流れは、一体なんだったのか。

 

どうすれば良かったのか。
疑えというけれど、
主人公は疑い尽くすほどに疑っていた。

 

日本人のことは初めから最後まで聞く耳も持たず疑い、
自らすがった祈祷師のことは祈祷中に暴れ、強制的に終わらせた。
幽霊みたいな女の人のことも、最後の最後に疑い繋いだ手を振り切った。

 

では、主人公は何を信じたか?


自分自身か。
それすらなかったように思う。
いつだって感情的になり全てを疑った。

 

なんでも良かったのでは?
信じるのは。
映画に映されていない何かの仕業だったかもしれない。
何が正義かなんてその時々の角度で変わるものだ。

 

だからこそ、何か1つ。
信じるべきだったのでは、と思わざるを得ない。

 

猜疑心という誰もが持つ人の弱さを見たように感じた。
選び、信じることは強さだ。

 

絡まり合う糸があって、1本の糸は細くとも
捕まれば落ちることはない、、そんな映像が浮かんだ。
(また絵にしよっと)