照らしていくような感じ

課題がまた増えたー。
それは、


表現に具体性を持たせること。

 

表現方法とは、様々だ。
絵、声、文章、生き方、体現・・

 

実に様々だ。
言ってしまえば、人の命そのものが表現みたいなもんだ。

 

そして、私の言葉や絵や生き方、姿勢
今の私の等身大でされる表現の全ては
輪郭がぼやっとしていてすごく抽象的だ!

 

とはいえ、かつての私をもとに考えると
心の底で発生しては消えていく自分の中の映像や色を、
認知できるまでの深度には来たように思う。

 

だけど場所でいうと
裸足になり、波打ち際に立ち、心の温度を感じる、ようなところで、
そう思うとまだ深度、とは呼べないかな?とも思う

 

これからは心の底で発生するそれらを掴み、カタチを捉え、
引き上げ取り出し表現していきたい。

 

だけど表現に具体性を持たせるには
自らに向き合い、考え、捉えていくことは共通していて避けられない。

 

そしてその作業だけが自らの精神の深度を深めていく
唯一の作業なんだろうと思う。

 

表現って自分を外に出す作業だから、
当然といえば当然なんだけどねぇ!

 

だから、表現の具体性には、
自身の現在の深度そのものが露呈するんじゃないかな。

 

表現に具体性がないということは
単純に、自らに向き合い、考え、捉えていく作業が不足しているということ。

 

その作業を、孤独というのだろう。
そしてその孤独には終わりなんかなくて
命の限り、どこまでも孤独なんだと思う。


だけど私は表現して生きたい。
孤独の過程で、命の過程で、体現の過程で
深い場所に行きたい。そこで、人に会いたい。

 

 

  

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クスクスと、笑う声がする。
その声を聞きそちらに目をやると、
着飾り、愛らしい格好をした自分がそこにいる。
その自分はこちらを見ているが、人の気配は感じないから不思議だ。

 

「・・?」

 

「・・ねぇ、さっきからさ、何言ってんの?今さらなことばっかり(笑)
 そんな風に語ってさ、文章にして載せたりして恥ずかしくないの?」

 

「恥ずかしくないよ。もう恥ずかしくない。

 だって私は生きて来たし、生きて来た私が今、実感したことだから、

 今がその時なだけ!それ以上もそれ以下もないよ。」

 

「いやいや、冷静に周り見なよ(笑)笑われてるよ?

 レベル低いよ、今そんな当然なこと分かっても無駄だよ、遅いよ」

 

「低いとか遅いとか、あなたは何と比べてるの?
 当然や普通はどこにあるの?あなたはどこに居るの?

    どうやってここまできたの?何を恐れているの」

 

「・・・・」

 

彼女はその薄くメイクをした顔を一瞬歪めたが、
次に声を発しようとした瞬間どこかに行ってしまった。
・・人の気配はない。

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所々でフィルターと物差しを持つ私が現れる。
この私は、私を守ろうとしているのだ。
だから私はこれからもこうして会話する。
おそらくずっと、分かち合うことはできない。
だけど一緒に生きていく。互いに受け入れていく。