曖昧以上ない

 

彼のあの一言で、自分を許せた自分がいる。彼のあの一言で強くなろうとした自分がいる。一言でこんなに変わった、あの言葉は一生の宝物だ。0が1になった瞬間だった、それくらい、救われた。以下、彼の言葉に救われた言葉たち

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私は、一人が好きだ
それでいて、寂しがりで甘えがあるのに甘え方を知らず
人を傷つけることがある

 

私は、人が好きだ
それなのに、人といるとすごく疲れたり
話が面白くなかったり、浮いちゃう自分が居る(人による。ほとんどそう、だから落ち着く人の存在に依存しちゃう)

 

どっちもあるんだ。
一人が好きだけど、誰かと居たい。


寝る前の文章も
ノートへの落書きも
何回聴くんだって音楽も
音のないこの静かな部屋も
街の雑踏に疲れただ空中に意識を浮かべるだけの時間も
私には絶対に必要。

 

自由に料理もしたい
お金は自分で管理したい
ちゃんと働きたい

 

静かな場所で、文字をただ体内に流し入れると落ち着く
騒がしい場所では、音楽で音を上塗りすると大丈夫
言葉にできない感情が、色でならあるのにな。(カタチにしたい課題)


綺麗な文章の表現に感動したり
にやけちゃうような気持ちい音に鳥肌を立てたりして
自由に流れてたいだけだ

 

心のこととか考えるの好きだけど
私の核はきっと、カタチも色合いも曖昧だから
見失わぬよう持っておきたいだけなのかも。

 

これは、エゴではない気がするよ。

 

人と関わっていく人生に対しての憧れはあるし
実際関わっていく中でないとできない感動もある

 

だけど人より距離が遠いのかもしれない
遠くないと保てないくらい境界線が曖昧なんだ。

 

人の感情を感じ取って痛んだり
引っ張られたりしちゃうのは境界線が曖昧だからかな


だけど、
海を自分の一部に感じたり
夜に体を溶かし、光だけを感じたりできるのもまた
境界線が曖昧だからかな

 

私は、あったかいようであったかくないのかもしれない
そう思うと少し怖いけれど、もしそうならそうなんだろう 
怖がるのはきっと染み付いた思考回路の仕業だ

 

一人が好きなんだ、私は。
その上で、人と関わればいい。
それに多分、人が好きなのも嘘じゃない。

 

承認欲求のようなものも、ある
だけどもう無理はしたくない

 

あくまで自由に自分らしく
流れるように生きながら
それでも一緒に居てくれる人と一緒に居たい

 

私もそんな風に、誰かのそばに居たい。
だからやっぱり今のこの一人の時間は必要だね?

 

約束は、したくない
だけど会いたい人には会いたい
一人で生きていきたい訳じゃない。

 

だけど一人にはなりたい。
なんて勝手な・・でも仕方ない。
これが私の在り方だ。

 

すごく、腑に落ちる。
やっと緊張が解けた感じ。
はぁこれが私だったんだ

 

とはいえものすごく弱くて、
甘えや依存するとこあるからね。
しっかり一人になろう。前向きにね。

 

心の話をしたい
考え方の話をしたい
色の話を、音の話をしたい
感覚を言葉で伝え合って形にする練習をしたい
誰かに知って居て欲しい
私もその誰かの誰かでありたい。

 

そういう人たちと出会い
関わる時間を持って生きたい。

 

そうじゃない人との関わりがほとんどになるだろうけど。
それがないとたぶんまた良くないわ

 

そんな「大切」もあるんだろうなと
そしてそれが私の新しい「大切」なんかなと

 

ぼんやり。


「そんなの冷たいよ歪んでるよダメだよ」じゃなくて
「そんな形だったんだ。」って気持ち。

 

ハロー。
しばらくよろしく。

 

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たぶんこれも私だ、にこにこも私でぼんやりも私。にこにこなるのも好きやしぼんやりも好き。0か100かの癖がちょっと抜けた気がする。影も光もその間もあるんだよきっと。そうしたら無限だ。100÷無限で100以上のものが存在できるよ。今日はいい日、迷ったら一度ここに戻ってこよう。いつかまた壊れるんやとしても、今日のこの思いは在れて良かった。