はじめの一歩の一歩まえ。

わたしにとって
その時間はお風呂上がりだった。

水平線のような時間。
自分の冷静な一部に会える時間。

余計なものを全部あらい流してびしょ濡れのまま。
そんな時が一番冷静なんてわたしらしいなと思う。

 

構造の整理をして
言葉たちを組み立てた。

 

ま。組み立てが甘いから、
手のひらの上で立てた泡のように
少しの時間で消えていってしまうんだけどねえ

 

ということでメモ。
階段を上ってくる間に少し消えてしまった。

 

言葉にするのは苦手だ。
だけど確信に近いんだ。

 

だからメモ。
急いでいるので殴り書き。

 

きっと

 

 

わたしは子どものとき
少し深くものを感じて居たのだと思う

 

そして、ほとんどの人と同じようにわたしもまた
成長のどこかで「考える」という方法に出会った

 

だけど「感じた」ことを「考える」というのは
私にとってとても苦しい作業だった

 

「感じる」深さのぶん
「考え」なければならない。

 

(・・・あの頃もこうしてネット上に書き連ねてたけど
 あのサイトは消えてしまった。)

 

だけど当然「考える」だけじゃ何も変わらない
だけどそのときはわからなかった。

 

そしてわたしは「考える」ことをやめた
あれは17歳のときだ。今でも覚えている

 

だから「感じる」だけで生きてきた
言葉が抽象的なのは、そのためだろう

 

つまりは、自分の世界に逃げた
狭く、だけど果てしなく深く思える世界


まったく本質的ではなかったことに気づいた
自分の世界から出ずして、わたしに何ができるだろう

 

”本質を知りたい”
16歳の頃の言葉

 

なぜそんなに悩むのかと聞かれた言葉を持ち帰り、
ひとり考えた夜、眠る前に書いた文章の結末。

 

あの日の言葉は嘘ではなかったはずなのに
ずいぶんと時が経ち、わたしは24歳になった

 

だけど無駄であったとは思わない。
辿って来たのだ、わたしは旅をしていた。

 

そしてやっと、自分を取り戻した
その自分を持って、外へ出たい

 

きっとまた、揺らぐだろう。
外の世界は広い。外の世界こそ、果てしなく深い。

 

世界の広さや歴史の深さを前にしたとき
わたしはどうなるんだろう。今はまだ想像もつかない。

 

自分の色なんて一瞬で見失うだろう
わたしはその度もがき苦しみ泣き叫ぶのだろうか。

 

自分の色なんて何色でもいいんじゃないか?


もしかしたら命に従ってついているもので
持っておく必要なんてないのかも

 

わたしの必死のこれまでは
大前提の大前提でしかなかったなと笑ってしまうよ。
だけどありがとう。

 

この心を使って、何を感じられるだろうか
この頭を使って、何を考えられるだろうか
この体を使って、何ができるだろうか

 

わたしには何ができるのだろう

 

音楽がすこし、リアルに聴こえた
わからなかったリアルを少しずつ実感する

 

そんな予感。


 

 

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