息の重さ

 

いきなり深くなる海みたいに、最近は、
関わる人達の深度がガッと深まった。
おかげで、時折、息ができずに肺が痛む。

 

でも、その状況を感じて考えるだけの
知識と体力がまるでなくて、
もがけばもがくほど、泳ぐどころか溺れていく。


そしてそのぶん、酸素を吸って二酸化炭素を吐く。
進まないのに、消耗する。

 

私なんて、泳ぎかた以前の問題で、
浮きかたから知る必要がある状態の人間だ。
だけど、浮いてたって酸素は使う。

 

でも、波打ち際に立ったなあ、と
足の裏に水の温度を感じたあの日から思えば、
足を進めてはいるのかな、とも思う。

 

でもそれがなんだっていうんだろう。
この”痛み”なんてものは、
誰のものでもなければ、誰の何も背負わない。
なんの犠牲も払わない、
この”痛み”なんてものはそう、いつも自分のためだけにあって
その正体は、これまたどこか許されようとしてるものなんだよね。

 

自分で自分を慰めている。ただの自慰行為だ。
とても惨めで恥ずかしい。

 

一体、何から許されようとしているのだろう。
きっと自分の世界なんてものは、それ1つだと
とても狭くて楽な世界で、多すぎてダメになる。

 

そして私はその狭くて楽な世界に身を浸していたいのだ。
たちが悪いのは外に行こうとする意志があるように見せかけるところ。

 

そのときに自ら痛みを作り出し、その痛みを理由に
自分の世界へこもることを許し、正当化しているのだ。


”私は繊細です”
バカか、と言ってやりたい。
別に、繊細なんかじゃなかった。
ただ単に、逃げていただけだった。 


だけどそれでも息はする。
生きている意味がわからないなどという言葉を口にするために、
私はまた1つ酸素を使う。

 

こんなの嫌だと思う自分は居る。
痛みが全てゴミクズみたいなものだったこともわかった。
さて。私には、何ができるのだろう。

 

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